”衰退する地元産業を次世代に残したい” OTA KNIT [株式会社マウンテンディアー:群馬県太田市]

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”衰退する地元産業を次世代に残したい” OTA KNIT [株式会社マウンテンディアー:群馬県太田市]

株式会社マウンテンディアー 代表取締役 山鹿雅明様 群馬県太田市出身

 

かつてニットの一大産地として、全国的に知られていた群馬県太田市。しかし、バブル崩壊以降は、安い海外製品に市場を奪われ、多くのニット製造工場が廃業していきました。現在もニットの製造を続ける企業は数えるほどとなり、太田市のニット産業は消滅の危機を迎えています。

 

これまで太田市の経済を支えてきたニット産業を、次の世代に残したいと独自に地域ブランド「OTA KNIT」を立ち上げたのが、地元出身で株式会社マウンテンディアー代表の山鹿雅明さんです。

 

 

消滅の危機に直面した太田市のニット産業

 

戦前の太田市には、太平洋戦争で陸軍の主力戦闘機として活躍した「一式戦闘機 隼」など名機を生み出した中島飛行機製作所があり、軍需産業によって発展をしました。戦後は、航空機産業で培われた”ものづくりの技術”を活かした自動車産業や繊維産業を中心に復興し、現在は北関東を代表する工業都市となっています。しかし、1990年代に入るとバブル崩壊によって、日本経済は急激に後退。国内のアパレルメーカーは、人件費が抑えられる海外に生産工場を移していきました。安い海外製品に押され、太田市のニット製造工場は仕事が激減、さらに職人の高齢化や後継者不足などの問題によって、多くの製造工場が姿を消して衰退の一途を辿っています。

 

世界に誇るニットの技術を次世代に残したい

 

このままでは、戦後の太田市経済を支えてきたニット産業が消滅してしまうと、危機感を抱いたのが地元出身の山鹿雅明さんです。山鹿さんは2012年に、ファッションデザイナーの直子さんとご夫婦で、株式会社マウンテンディアーを太田市で設立、オリジナルブランド「to touch」を展開しています。太田市のニットを多くの人に知ってもらうためにブランド化しようと考えた山鹿さんは、地元のニット製造会社に協力を依頼。直子さんが商品開発を担当して地域ブランド「OTA KNIT」を2017年に発表しました。現在は、山鹿さんが経営するセレクトショップ「to touch ota style shop」をはじめ、オンラインショップや百貨店などで開催されるイベントなどに出展・販売しています。

 

 

知ってもらわないとブランド価値はない

 

「OTA KNIT」の最大の特徴は、協力各社それぞれが得意とする技術によって生み出される高い品質と直子さんのシンプルで上質なデザインです。これまで大手メーカーの下請けとしてニットを製造していた太田市の中小企業は、良い製品を作っても消費者に知ってもらうための手段(販路)を持っていませんでした。山鹿さんが地域ブランド「OTA KNIT」を立ち上げたことによって、職人さんが技術を発揮する機会ができたのです。「OTA KNIT」の「ファインウール ドット マフラー」は、優れたデザインの商品に贈られる「平成29年度グッドデザインぐんま優秀賞」を受賞。地元のメディアに取り上げられることで、徐々に地域ブランドとして「OTA KNIT」が、市民に認知されるようになってきました。また、認知が高まったことで、これまであまり積極的でなかった地元行政も動き始め、太田市のニットを経済産業省の「令和2年度売れる地域ブランド育成・定着支援事業」に提案し採択されました。

 

若者に引き継がれる山鹿さんの思い

 

「シティプライド」や「シビックプライド」と呼ばれる街に対する市民の誇り。日本語では郷土愛と訳されますが、街を誇りに思うには何らかのコンテンツが必要。それが「OTA KNIT」でなくてもかまわないが、これからも面白いものを発信していきたいと、山鹿さんは楽しそうに話されました。すでに山鹿さんの活動を見てきた次の世代の若者たちが、YouTubeやクラウドファンディングなどのツールを活用して「OTA KNIT」の魅力を発信し始めています。山鹿さんは、自分たち世代が気づかなかったような「OTA KNIT」の魅力を、若者たちが発信して太田市を盛り上げてくれるのではないかと期待しています。台湾で開催されたイベントに出展するなど、誕生してから4年、山鹿さんは今後、世界に向けて太田ニットの技術と魅力を伝えるのが目標だそうです。